ボーナスで新しいPCを購入したので、娘の動画とかを試しに見ていたのですが、まぁフリコピって体に染み込んでるよねと。
でふと思い出したのは、先日の武道館はいわゆる残念な席、かろうじてアリーナだったわけですが、通常推しから見えない位置にいる自分というのが何とも不思議かつ、そんな席でさえ、私はたまにさも自分は玄人かのような目で威嚇されることがあるのですが、いや君見たことないしと。そういう人に限ってフリコピすらできてないし、そもそも君は推しの一番になろうと本気で思ったことはあるのか?なぜ、ここにいるんだ。とうすらぼんやり思ったりしたことを思い出しました。さゆは現場至上主義と評されることもありましたが、やっぱり前に行く、必ずいるというのはそれなりに意味があり、彼女はそれを分かっていたわけです。私も現場に行き始めた頃は分からなかったけど、周りからの話などを聞いたり、会えば会うほど好きになるという営業テクニックは知っていたのでの、そうか、ならそうしてみよう、っていうかそれ以外の方法が見つからないし、と思って一目でもいいからとにかく会いに行くと決め行動した結果、数と近さが大事だということを徐々に体感し、そしてそれは自分に対する熱意をシンプルに感じられることだから、ごもっともだなと感じました。まぁ、会いたくて会いにいってたんですけど笑。でも不思議なことに、こちらも会えば会うほど好きになっていったのでした。
それと、何かのラジオで「若い子に流れたけど戻りました」Tシャツの話題を聞いて、そうかアイコンタクトもバイバイも意識してんだな(当然だろうけど)ということが分かり、そして「尽くす」という言葉を使っていたのが印象的で、そらアナタ好きな人に使う言葉よとか、このお人は本当にアイドルらしからぬ人情味のある「お返し」を律儀にするんだなぁということを再確認したわけで、で、未だにさゆはどう思っていたのかなと思いを馳せます。
当時のさゆはファン感謝キャンペーンを盛大に実施中で、誰から話を聞いてもほぼ神対応で自分も確実にその中のその他大勢になっていたとは確信に近いものがあるのですが、私はgmmlは実働29公演中26公演(座間夜、LA、静岡振替以外)行っておりそれにしても道重さんとのウッキウキな思い出ばかり(脳内含む)で、このことを確かめる術がないということが、私がさゆに縛られる一つの要因なのだと思っています。
私は今心理学的な要素や人生・仕事に関する勉強をしているのですが、これがまた楽しくこのタイミング(若すぎるわけでもなく人生の後半戦でもない)で勉強できていることはラッキーだなと思っていて充実感を感じることもあり、仕事は相変わらずおしりに火がついた状態で、道重さんに会えない寂しさを必死に埋めんとする気持ちと自業自得ながら正直いつまでこんな忙しいんだろうといった思いを行ったり来たりしています。
でこの勉強で、共感という感覚の話が出るたびに思い出すのは道重さんで(正しくは共鳴だと感じているけど)、自分にとって今までの人生経験の中で幸せという価値観を考える際にはやはり道重さんと過ごした日々を思い出します。その経験があるだけ幸せだし、逆に知ってしまったからこそ今やこれからも切ないということもあるかもしれません。
いつまで経っても姿を現さないので、もはやこの思いは墓場まで持ってくと半ば本気と書いてマジと読む勢いです。でも道重さんも私も普通に考えれば残りの人生がまだ倍以上あって、恐らくは願いなのだろうけどもう一生会えないとは思っていなくてそれはほぼ確信に近いです。
だいぶ疲労が溜まってきて、また旅がしたいなぁ(ヲタ活は私の旅欲も満たしてくれた最高の時間でした)来月あたり海の見えるホテルでゆっくり読書でもしたいなぁと、連休を取れるように頑張ろうと思います。
そう、もうすぐ道重さんの26歳の誕生日。
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